江戸幕府

1603年、家康は天皇から征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きました。ところが、2年後の1605年に将軍職を息子の秀忠に譲ってしまいます。家康自身は幼少年期を過ごした駿府の城から秀忠に指示を出し続けました。「大御所政治」と呼ばれていますが、政治の主導権は決して手放さなかったのです。大御所政治をとった狙いは、朝廷の束縛から逃れるということと、将軍家が徳川家の世襲であることを諸大名に示すことにありました。江戸幕府は1867年の大政奉還まで約250年の間に徳川家の15人が将軍となりました。ここでは、将軍ごとに出来事を見ていくことにしましょう。

徳川家康

徳川秀忠

1615年、「武家諸法度」という大名が守るべき決まりが制定されました。大名は学問と武芸にはげまなければならない、許可なく城を修理したり新しい城を作ったりしてはならない、勝手に結婚してはならない、なんてことが定められていました。許可なく城を修理できないとか結婚できないとか、めちゃくちゃですね。でも、この決まりに大名が違反してしまうと、藩を取り潰されたりしたんです。大名は泣く泣く武家諸法度に従ったんでしょうね。ちなみにこの決まり、家康の命令で制定されています。家康が影で実権を握っていたんですね。

徳川家光

大名が将軍のもとに参勤する参勤交代が義務付けられました。「参勤」とは家臣が主君のもとにはせ参じること、「交代」とは家臣が主君の許しを得て領地に戻ること、です。大名に将軍への忠誠を誓わせるのが目的でした。大名を一年ごとに江戸と領地に住まわせました。妻子は江戸に住まわせました。人質のようなものです。参勤交代以外にも、幕府は江戸城の改修や土木工事を大名に手伝わせたため、大名は弱体化し幕府に背けなくなりました。

徳川家綱

徳川綱吉

徳川家宣

徳川家継

1716(享保1)年、夭折。

徳川吉宗

紀伊藩主の徳川吉宗が1716年に8代将軍となりました。吉宗は家宣・家継に仕えていた間部詮房・新井白石を退けて、幕府政治の刷新に乗り出します。これを享保の改革といいます。

徳川家重

徳川家治

徳川家斉

徳川家慶

徳川家定

徳川家茂

徳川慶喜

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