南北朝の動乱

南北朝の併存時代は約60年も続きました。北朝のほうが圧倒的に強かったのですが、実は北朝内が分裂しており、改革派と保守派の抗争が繰り返されていました。南朝との対決どころではなかったのです。約60年間続いた対立は、3代将軍足利義満の登場でようやく終止符が打たれました。力の衰えた南朝の後亀山天皇が皇位を捨てて京都へ還幸したのです。当時の動乱を描いたのが『太平記』です。

室町幕府

1378年、足利義満は京都の室町に「花の御所」と呼ばれる豪華な屋敷を構えて政治を始めます。ただし、室町時代の始まりは1336年となっています。これは尊氏が武家政治を再スタートさせた年ですね。
幕府の中枢は、管領が足利将軍をサポートする体制でした。管領は、細川氏・斯波氏・畠山氏が交代で就きました。三管領といい、みな足利氏一門の有力守護大名です。管領につぐ要職である侍所には、これまた有力守護大名である赤松氏・一色氏・山名氏・京極氏が任命されました。四職といいます。幕政は将軍とこの宿老たちの合議によって進められました。つまり、室町幕府は守護大名の連立政権だったということができます。室町幕府は責任の所在が不透明で、義満とその子の義持の時代の後は、支配力が低下していきました。

応仁の乱

8代将軍足利義政の代に後継者争いがおこり、これに三管四職の細川氏と山名氏の対立が重なりました。西国の多くの守護大名が加わり、京都を戦場に、細川氏の東軍と山名氏の西軍に分かれて戦いました。そんな中、義政自身は京都の山荘「東山殿」に引きこもってしまいます。この山荘は江戸時代になって銀閣と呼ばれるようになります。不毛な合戦は11年間も続きました。

守護大名の支配力の低下

1485年、京都の山城で、土着の武士と農民が団結し、領国から守護大名を追い払うという、山城の国一揆がおきます。また、1488年、北陸の加賀では、一向宗の農民たちが守護大名を倒してしまいます。加賀の一向一揆です。そして、門徒の寄合でおよそ100年にわたって国を治めます。幕府だけではなく、守護大名の支配力も低下していったのです。

室町時代の文化

室町時代の文化は、義満の「北山文化」と義政の「東山文化」に大別されます。代表的なものは金閣と銀閣です。義満は豪華絢爛を好みましたが、義政は閑寂枯淡な風流を好みました。
北山文化としては、観阿弥・世阿弥父子による能楽、水墨画、朱子学の研究や五山文学(漢詩文の創作)があります。

室町時代の宗教

鎌倉時代に起こった浄土真宗(一向宗)が、「中興の祖」蓮如の活躍により、圧政や厳しい年貢に苦しんでいた農民に支持され、一大勢力に成長します。蓮如は北陸地方で布教をはじめ、これが加賀の一向一揆につながっていきます。さらに大阪に石山道場を開設しました。石山本願寺の前身です。

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